石鳥谷宿の風景 「光林寺」と奥州街道の付け替えの云われ

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『林長山 時宗 光林寺』
 奥州稗貫郡寺林城主「河野通重」の嫡子「河野通次」は、京都の番役中に一遍上人の説法に感銘帰依し「順道」と改名しました。
 「順道」は一遍上人に同行して弘安4年(1281年)稗貫郡寺林に戻り、通重の寄進を受け林長山時宗「光林寺」を開山しました。

 元禄14年(1701年)光林寺「第16代円護」は、時宗総本山遊行寺の第45代尊遵上人となり、「遊行寺」に東山天皇ご行幸のおり勅額を嘆願し、勅許のもと大納言藤原基時卿の御染筆による軸を賜りました。
 菊の御門の入った「光林寺」の額は、本物の軸の拓本額だそうです。本物の軸は宝物庫に、大事に保存されているそうです。
 本日は仏前結婚式があるそうで、本堂内は晴れやかな装いをしています。

 さてこの額を見た第五代南部信恩(久信)は、寺門前に下馬札を掲出させ、この門前を通過するものは、何人も下馬しなければならなくなりました。

 地元の方に伺うと、当時「光林寺」前は「奥州街道」となっていましたので、参勤交代の大名行列も、すべて下馬しなければならず、山坂で曲折の街道筋解消と称して、直線路14キロメートルにも及ぶ新ルートの付け替えをしたのだと、説明してくださいます。

 しかし街道の改良は、明暦4年(1658年)第二代南部重直公のときに、実施されているようですから、山坂で曲折解消のためであるとして、「下馬を避けるための付け替え」説は、物語としては楽しみが膨らみますが、後々に付け加えられた云い伝えのようです。

 新奥州街道となった道を南に向かって見ますと、なるほどはるか彼方まで一直線となっています。

 さて石鳥谷宿で原敬も食べたであろう石鳥谷名物のそばを食べるため、再び「佐々木屋」さんを訪ねました。
 気になっていた「塩そば」を注文しました。トリ肉の入った塩味のそば、あっさりとした口当たりがよく、そばの香りがほんのり残りとてもおいしかったです。
そばつゆも濃厚で、満足な一日でした。
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by bbex162546 | 2014-12-21 18:00 | 風景 | Comments(0)

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